JALのMD90が引退…ダグラス機の系譜がまた一つ姿を消す

春は別れの季節。年度末になるとこういった寂しいニュースが多いですね。私結局乗る機会はありませんでしたがあちこちの空港で遭遇した機種でした。

これは1999年、小牧にて。ミノルタ α Sweetとネガフィルムで撮ったものです。

以下、昨日私が読んだニュースです。少し長いですが引用します。

<JAL>MD90引退 最後のJAS独自導入機 さようなら青春のDC9
毎日新聞3月30日(土)13時58分配信

日本航空(JAL)の米マクダネル・ダグラス社(現ボーイング)製のジェット旅客機MD90が30日、広島発羽田行きの最終便JAL1614便で引退する。MD90の引退で、JALと統合前の日本エアシステム(JAS)が独自に導入した機体が姿を消すとともに、JALとしても1951年のDC3「金星号」以来、60年以上にわたって日本の空を飛び続けたダグラス機の歴史にも幕が下りる。羽田空港第1ターミナル(東京都大田区)にはMD90の姿をカメラにおさめようと多くの航空ファンが詰めかけた。

◇空を舞った「七人の侍」

「さようなら私の青春」--JALの元客室乗務員1人はMD90の引退が決まると寂しさを隠せなかったという。「MD90は七人の侍にちなんで、黒澤明監督がデザインした7種類の塗装でデビューしたので、乗務のときはどのデザインの機体に乗るのか楽しみにしていた。さわやかで明るく幸せな気持ちになる飛行機だった」と96年の就航当時を振り返った。

黒澤監督は当時の機内誌のインタビューに「映画監督になる前に画家をめざしていた。飛行機という大きなキャンバスを借りて、たくさんの人々に見てもらえる大きな画(え)を描けることになった」と語っている。13年1月に行われた鶴丸塗装のMD90引退記念ツアーは「黒澤七本締め」で最後を締めくくられた。

MD90のルーツは、東亜国内航空(TDA)時代のJASが73年に導入したDC9-31にまでさかのぼる。垂直尾翼の上に水平尾翼が配置されたT字翼と呼ばれる独特のシルエットは「白鳥のように美しい機体」とパイロットから愛された。2羽の鳥とジェット噴射をイメージしたTDAのシンボルマークを描いたDC9シリーズが、YS11が中心だった地方路線のジェット化の推進力だった。DC9-41、MD81、胴体の短いMD87、MD90と続くDC9シリーズの歴史は約40年に及んだ。MD90は16機が導入された。コックピット上部には、GPS(全地球測位システム)などが普及する前に使われた天体観測用の窓が残り、半世紀近く前に開発されたDC9シリーズの持つ歴史を感じさせた。

◇歴史の節目を飛んだダグラス

JALにおけるダグラスの歴史は、51年8月にフィリピン航空からチャーターして運航したDC3「金星号」に始まる。翌年には初の自社購入機としてDC4「高千穂」号を就役させた。DC4は50年代の国内線の主力機材となった。54年には羽田-サンフランシスコを結ぶ国際定期便開設のためにDC6Bを、58年にはDC7Cとダグラスの機体が次々と導入された。DC6Bはアテネから那覇へ聖火を運ぶ特別機としても使用された。

60年には日本初のジェット旅客機としてDC8「富士号」が就航し、鶴丸のロゴとともに世界へ羽ばたく原動力ともなった。70年代には植木義晴社長も乗務したDC10も導入され、DC10の後継となるMD11も就航したが04~05年に相次いで引退。ダグラスの機体はJASから引き継いだDC9シリーズを残すのみとなっていた。

MD90の引退は1機種の引退だけではなく、JASの面影とダグラスの系譜が同時に消える歴史の一区切りでもあった。整備士たちは7日、ラストフライトを行う機体に「17年分の感謝をこめて MD90 ありがとう」というメッセージとT字翼を機首に描いて労をねぎらった。

2001年、関西空港にて。東亜国内航空のカラーがまだ残っていました。

2002年、伊丹にて。

この頃からカメラをデジタル化しました。と言っても、サイバーショットDSC-S85というおっとりしたカメラで、動き物の撮影は苦手でした。

2002年、伊丹にて。

2004年、小牧にて。

2007年、伊丹にて。
この頃ついにデジタル一眼(ニコン D50)を購入しました。

2007年、伊丹にて。

2007年、セントレアにて。

2008年、伊丹にて。カメラはニコンD300に出世しました。

これがMD90を最後に撮った1枚になりました。

スポンサーリンク

シェアする